1984〜1998 | トッテナム・バイエルン・インテルを渡り歩いた点取り屋
ユルゲン・クリンスマン——ダイブ疑惑と実力、ドイツが生んだスター
ユルゲン・クリンスマンはプレミアリーグで「ダイブの王様」と揶揄され、同時に「ドイツ史上最高のストライカー」とも称された。1994年W杯での活躍、トッテナムへの移籍、1996年欧州選手権優勝——クリンスマンの物語は誤解と評価が交錯する複雑な伝説だ。
1990年W杯優勝——マテウスと共に西ドイツを世界一に
1990年のイタリアW杯、西ドイツはフランツ・ベッケンバウアー監督のもとで世界一を達成した。クリンスマンはこの大会で4ゴールを記録し、チームの得点力を支えた。決勝のアルゼンチン戦では1-0の勝利に貢献し、ロタール・マテウス、アンドレアス・ブレーメとともに「世界最強の西ドイツ」の中心選手として名を残した。
クリンスマンのゴールスタイルは独特だった。190cmに近い長身でありながら、サイドにも流れ、ポストプレーもこなし、裏への抜け出しも得意とする「万能型」のストライカーだった。派手なパフォーマンスは時に過剰に見られたが、得点力の本質は疑いようがなかった。
トッテナムとダイブ疑惑——プレミアリーグでの受難と愛
1994年にトッテナムに移籍したクリンスマンは、加入初年度に30ゴールを挙げるという驚異的なパフォーマンスを見せた。しかしプレミアのフィジカルな戦いに対し、「大げさに倒れる」という批判を受け続けた。イングランドのメディアは「ダイブの王様」と揶揄した。
クリンスマンはこれを逆手に取った。倒れた後、大袈裟に立ち上がって「私はダイブしていない」とばかりにポーズをとるパフォーマンスで観客の笑いを取り、自らを「人間的な選手」として印象付けた。このユーモアは英国のファンに受け入れられ、翌年に帰国した際も温かく迎えられた。
ユーロ1996優勝と監督への転身
1996年のユーロでドイツが優勝した際、クリンスマンはキャプテンとして大会を経験した(当時のキャプテンはマテウス)。優勝後に現役を引退し、監督への道を歩んだ。2004年にドイツ代表監督に就任すると、2006年の自国W杯でドイツを3位に導き、国全体を活性化させた。
ドイツが「ダークで内向き」なサッカー文化から脱却し「楽しく攻撃的なサッカー」へと変わったのは、クリンスマン監督時代のカルチャーチェンジが大きな引き金になったとされる。選手としてもコーチとしても、クリンスマンはドイツサッカーの近代化に貢献した。