1995〜2017 | 走らずして支配した「レジスタ」の美学
アンドレア・ピルロ——ゲームを「指揮」した背番号21の詩人
走力も身体能力も平均的。しかしアンドレア・ピルロは、その「普通さ」を超越した頭脳と左足で、20年以上にわたって世界のサッカーを支配した。「レジスタ(指揮者)」という役割を現代に蘇らせた彼のサッカーは、まるで指揮台に立つマエストロのようだった。
「ボランチ失格」から「世界最高」への転換点
アンドレア・ピルロは1979年、イタリアのフロッツィーノーネ近郊に生まれた。インテルのユースで頭角を現したが、当時のインテル首脳陣は彼を「守備ができない」と評価し、ACミランへのローン移籍を繰り返した。
転機は2001年、カルロ・アンチェロッティがミランの監督に就任したことだ。アンチェロッティはピルロを中盤の深い位置(ディープ・ライイング・プレーメーカー)に固定。この「レジスタ」という役割でピルロは開花し、以後10年以上にわたって世界最高のMFの一人として君臨した。
かつて「使えない」と判断されたインテルとのクラシコ(ミラノダービー)で、ピルロは何度も相手を圧倒した。サッカーとは、使われる場所がすべてを決めるというひとつの証明だった。
2006年、W杯制覇の「脳」として
2006年ドイツW杯、イタリアは優勝を飾った。この大会でピルロは「大会最優秀選手賞」こそ逃したが、イタリアの攻守をつなぐ中核として圧倒的な存在感を放った。準決勝のドイツ戦では終了直前の2ゴールをアシスト、決勝フランス戦でもピルロのゲームコントロールは際立っていた。
特に印象的だったのはその「ゆっくりとした」プレースタイルだ。無駄に走らず、常に正確な位置にいて、ボールが来るとワンタッチで展開する。相手チームは彼を潰しにくるが、ボールを持つ前にすでに次のパスコースが頭の中にあるため、プレッシャーを無力化してしまう。
この大会のピルロを見た世界中の少年たちが「レジスタになりたい」と思ったと言われる。それだけ彼のプレーは、サッカーの「頭脳」というものの理想形を体現していた。
ユベントスでの黄金期とCL決勝
32歳でACミランを離れ、ユベントスへ移籍したピルロは、衰えるどころかキャリアのピークを更新した。移籍初年度から中心選手として活躍し、スクデットを4連覇。2015年にはCL決勝に進出(バルサに敗れたものの)するなど、ユベントスの黄金期を牽引した。
「30代の選手は衰える」という常識を覆したピルロの秘密は、フィジカルへの依存の少なさにあった。若い頃から「走らずに支配する」スタイルを貫いていたため、脚力が落ちても影響が最小限だった。頭脳とテクニックは、年齢とともに磨かれこそすれ、衰えることはなかった。
引退後は指導者に転身し、ユベントスU-23の監督を経てトップチームの監督に就任した。監督としての道はまだ続いているが、プレーヤーとしての彼が残したものは永遠に色褪せない——「考えるサッカー」の美学を体現した、唯一無二の詩人として。