1995〜2023 | 世界が認めた史上最高のGK
ジャンルイジ・ブッフォン——「イタリアの壁」が立ち続けた25年間
25年間で獲得したタイトルはほぼすべて。惜しくも手にできなかったのはチャンピオンズリーグのみ。ジャンルイジ・ブッフォンの輝かしいキャリアは、才能と鍛錬と不運が複雑に絡み合う、サッカーという競技の本質を教えてくれる。
17歳でのデビューから始まった伝説
ジャンルイジ・ブッフォンがパルマのトップチームでデビューしたのは1995年、わずか17歳の時だった。当時の対戦相手は、その年のバロンドール受賞者であるジョルジュ・ウェア率いるACミラン。17歳のルーキーは動じることなくゴールを守り、試合後にウェアから称賛の言葉をもらった。この試合が、一つの伝説の始まりだった。
2001年、ユベントスが当時の世界記録となる移籍金4750万ユーロを支払ってブッフォンを獲得した。「GKにそれだけの価値があるのか」という声もあったが、その後の活躍がすべての疑問に答えを出した。
2006年W杯——不屈のイタリアを体現したセーブ集
2006年ドイツW杯、イタリア代表は計審査問題で揺れる国内の混乱を背景に大会に臨んだ。それでもチームの結束を保ち続けたのは、ブッフォンの存在が大きかった。グループステージから決勝まで7試合を戦い、ブッフォンが失点したのはわずか2点(いずれもオウンゴールとPK)。
準決勝のドイツ戦、決勝のフランス戦でも彼は完璧なセーブを連発した。ジダンの「あの頭突き」で有名な決勝戦でも、ブッフォンはPK戦で躍動しイタリアを世界一に導いた。この大会でのパフォーマンスは、多くの専門家が「GKとして史上最高のW杯」と評している。
ユベントスとの「永遠の愛」
ブッフォンとユベントスの関係は、単なるクラブと選手の関係を超えていた。2012年、セリエAの不正問題(カルチョポリ)でセリエBに降格させられたユベントスに、多くのスター選手が去っていく中、ブッフォンは残留を選んだ。「このクラブと一緒に降格し、一緒に昇格する」という言葉は、今もユべンティーニ(ユーベファン)の心に刻まれている。
ユベントスはセリエBを1シーズンで制して返り上がり、以後連続リーガ優勝を達成。その間、ブッフォンはシーズンごとにセリエAのベストGKに選ばれ続けた。
CLだけ——42歳まで追い続けたたった一つのタイトル
ブッフォンのキャリアには一つだけ欠けているタイトルがある。チャンピオンズリーグだ。2003年と2015年に決勝まで進んだが、どちらも敗れた。2017年にも決勝に立ったが、ロナウドとレアルに敗れた。
それでも彼は諦めなかった。2018年にパリSGへ移籍し、再びCLに挑戦。2019年にユベントスへ戻り、2023年まで現役を続けた。最後まで「クラブの最高のタイトルを取りたい」という一心でピッチに立ち続けた。
ブッフォンがCLを取れなかったことは、サッカーの残酷さを示している。しかし同時に、それを追い続けた姿勢は、サッカーの美しさも示している。40代まで世界最高レベルで戦い続けたその精神力は、すべてのアスリートへの最大のメッセージだ。