2001〜2015 | ユナイテッドでの苦悩からアトレティコでの栄光へ
ディエゴ・フォルラン——遅咲きの英雄が掴んだW杯MVP
マンチェスター・ユナイテッドでゴールを決められなかった選手が、アトレティコ・マドリードでリーガ得点王となり、2010年W杯でMVPを受賞した——ディエゴ・フォルランの物語は、諦めなかった者への最高の報酬だ。ウルグアイが生んだ遅咲きの天才の軌跡。
ユナイテッドでの苦難——ゴールが遠かった2年間
2002年、フォルランはインデペンディエンテ(アルゼンチン)からマンチェスター・ユナイテッドへ移籍した。しかしプレミアリーグへの適応に苦しみ、1年目のリーグ戦でなかなかゴールが奪えなかった。ファンからのブーイングも受け、「失敗の移籍」と見られるようになっていた。
転機は2002年12月のエバートン戦。途中出場から2ゴールを決め、プレミアリーグ初ゴールを記録した。しかしその後も安定せず、2004年にビジャレアルへ移籍。プレミアでの2年間は「失敗」として記憶された。しかしフォルランはここで終わらなかった。
アトレティコ・マドリードでの覚醒——2度のリーガ得点王
2007年にアトレティコ・マドリードへ移籍したフォルランは、ここで完全に覚醒した。2008-09シーズンと2009-10シーズンの2年連続でラ・リーガ得点王を獲得(32G・25G)。ロナウドやメッシと得点王を争うレベルに達したフォルランは、この時点でようやく「世界トップ水準のストライカー」という評価を確立した。
左右どちらの足でも同じ精度のシュートが打てる両足の使い手で、ミドルシュートの威力は欧州トップレベルだった。「ユナイテッドであのゴール感覚をもっと早く掴めていれば」という「if」は、フォルランの物語に常に付いて回る。
2010年W杯MVP——南アフリカの英雄
2010年の南アフリカW杯、ウルグアイは4位に入賞した。フォルランは大会を通じて5ゴールを記録し、大会MVPに選出された。特にグループリーグのフランス戦、準々決勝のガーナ戦、3位決定戦のドイツ戦でのゴールは印象的だった。
フォルランが29歳でW杯MVPを受賞したことは「遅咲きでも世界一になれる」というメッセージとして多くの人に受け取られた。同じウルグアイ人のスアレスとともに、南アフリカの英雄となったフォルランは、ウルグアイサッカーが生んだ最高の選手の一人として記憶されている。