1992〜1997 | フランス人が「赤い悪魔」を変えた瞬間
エリック・カントナ——マンチェスター・ユナイテッドに降臨した「王様」の3年間
エリック・カントナがリーズからマンチェスター・ユナイテッドに移籍したのは1992年11月。この移籍はサッカー史上最も重要な「安値の天才」として語り継がれる。プレミアリーグ創設期のマンUに君臨した「王様」の物語。
「王様」——立ち姿だけで場を支配した男
エリック・カントナは1966年、フランスのマルセイユ近郊に生まれた。その才能は疑いようがなかったが、反骨精神と衝動的な性格がキャリアを波乱に満ちたものにした。フランス各クラブを転々とした後、イングランドのリーズへ。しかしリーズでの軋轢から、120万ポンドという破格の安値でマンUに移籍した。
カントナの存在感は特別だった。ユニフォームの襟を常に立て、顎を上げてピッチを歩く姿は「王様」というニックネームがそのまま形になったようだった。ボールを持った時の余裕、ゴール前での冷静さ、仲間への信頼を生む存在感——彼がいるだけでチームの格が変わった。
プレミアリーグ連覇と「クリスタル・パレス事件」
カントナはマンUで4シーズンにプレミアリーグを4度制覇(2連覇×2)。ファーガソン監督の下で絶対的な中心選手として活躍し、チームの攻撃の起点となった。若きギグス、ベッカム、スコールズ、バットたちの「クラス・オブ・92」世代を束ねる精神的支柱でもあった。
1995年1月のクリスタル・パレス戦、観客に空手蹴りを見舞ったことで長期出場停止処分を受けた。これがカントナのキャリアの転換点となり、残り2年間でより成熟した「真の王様」として復活した。試合後の会見での「カモメと漁師」という謎めいたコメントは今も伝説だ。
カントナが1997年に突然現役引退を表明した時、マンUは喪失感に包まれた。しかしその後まもなく「クラス・オブ・92」が成熟し、1999年のトレブルへと繋がっていった。カントナがいなければ、マンUの黄金時代はなかったかもしれない。
「芸術家」としてのカントナ
カントナは引退後、俳優として映画に出演し、芸術家としての顔を見せた。かつての反骨精神は、ピッチを離れた後も創造的なエネルギーとして生き続けた。UEFA会長選挙に立候補を宣言したことも(最終的に辞退)、彼らしい「予測不能」なエピソードとして記憶されている。
「サッカーは芸術だ。そして芸術家は自分のルールで生きる」——カントナのこの言葉は、彼がなぜあれほどまでにファンを魅了したかを説明する。ルールの外で輝く「王様」の存在は、サッカーという競技に「人間のドラマ」という次元を加えた。