1961〜1978 | ベンフィカと1966年W杯を彩ったポルトガルの至宝

エウゼビオ——「黒豹」が証明したアフリカの力と欧州の頂点

2026年5月約8分
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Hara Tech 編集部

欧州サッカー専門メディア「ultrasrei.com」編集部。プレミアリーグ・ラ・リーガ・セリエAを中心に、戦術・歴史・選手考察を発信。

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モザンビーク生まれのエウゼビオ・ダ・シルバ・フェレイラは、1961年にベンフィカに加入すると欧州を席巻した。1962年の欧州チャンピオンズカップ決勝でレアル・マドリードを相手に2ゴールを挙げ、1966年のW杯では9ゴールで得点王——「黒豹」と呼ばれたこの男は、アフリカ出身選手が欧州サッカーの頂点に立てることを初めて証明した。

モザンビークからリスボンへ——奇跡の移籍

1942年、当時ポルトガル植民地だったモザンビークのロウレンソ・マルケス(現マプト)に生まれたエウゼビオは、幼少期から群を抜いたサッカーの才能を見せた。現地のスポルティング・ロウレンソ・マルケスで頭角を現し、1961年にベンフィカがポルトガル本国に連れてきた。

しかしこの獲得にはドラマがあった。スポルティング・CP(リスボン)もエウゼビオを狙っており、ベンフィカはエウゼビオをいったん隠したとも言われている。最終的にベンフィカが獲得したことは、後のポルトガルサッカー史を考えると決定的な出来事だった。

1962年欧州決勝——ベンフィカ対マドリードの名勝負

1962年の欧州チャンピオンズカップ決勝、ベンフィカ対レアル・マドリード。前年の決勝(バルセロナ戦)でも優勝したベンフィカは連覇を狙い、マドリードはプスカス、ディ・ステファノという最強の攻撃陣を擁していた。

試合はマドリードが前半に3-2とリードして折り返したが、後半にエウゼビオが爆発した。19歳のエウゼビオは2ゴールを叩き込み、ベンフィカが5-3での逆転勝利を収めた。試合後、ディ・ステファノはエウゼビオに近づき、ユニフォームを交換することを申し出たという。「王様」が若き「黒豹」の才能を認めた瞬間だった。

1966年W杯得点王——「黒豹」が世界を驚かせた夏

1966年のイングランドW杯でエウゼビオは9ゴールを挙げ得点王に輝いた。特に準々決勝の北朝鮮戦は伝説として語り継がれる。0-3と3点のビハインドを背負ったポルトガルは、エウゼビオが1人で4ゴールを決め5-3で逆転勝利した。

準決勝でイングランドに敗れた後、試合終了の笛を聞いてエウゼビオが涙を流した写真はW杯史上最も有名なシーンの一つだ。スポーツマンシップ、情熱、そして悔しさが一枚の写真に凝縮されていた。

ベンフィカ時代の通算473ゴールは今もクラブ最多記録。2014年にエウゼビオが亡くなった際、ベンフィカのスタジアムにはポルトガル全土から多くのファンが集まり、その死を悼んだ。「黒豹」という愛称が示す通り、彼の輝きはポルトガルサッカーの歴史と永遠に重なり合っている。