1995〜2023 | GKという「孤独な詩」を生きた男

ジャンルイジ・ブッフォン——ゴールを守り続けた20年間の孤高

2025年3月約8分

ゴールキーパーとは、チームで唯一、手を使える孤独なポジションだ。ジャンルイジ・ブッフォンは20年以上にわたってそのポジションの可能性を拡張し、「GKがバロンドール最終候補になる」という現実を作り上げた。彼のキャリアは、守ることの偉大さについての長い詩だった。

17歳のデビューと早すぎる「本物」の証明

ジャンルイジ・ブッフォンは1978年、イタリアのトスカーナ州カッラーラに生まれた。父はやり投げのアスリート、母は砲丸投げの選手という運動一家に育ち、幼少期からGKとしての才能を磨いていった。

1995年、17歳でパルマのトップチームデビューを果たしたブッフォンは、即座に「本物」としての評価を得た。1997年には代表デビュー、翌年のW杯でも出場機会を得ると、2001年の夏には当時GK史上最高額の移籍金(約5200万ユーロ)でユベントスに加入した。

ユベントスでの長期政権の始まり——ここから2023年まで続く「ブッフォン神話」が本格的に幕を開けた。

2006年W杯、防波堤となった男

2006年ドイツW杯は、ブッフォンの名を永遠に刻んだ大会だ。グループリーグから決勝まで7試合で、ブッフォンが許したゴールはわずか2つ(しかも1つはOG、もう1つはPK)。プレーからの失点はゼロという驚異的な数字だった。

準決勝のドイツ戦、終了間際の2ゴールを許さず逃げ切ったイタリア守備陣の中心は、常にブッフォンだった。決勝のフランス戦でもPK戦でのセーブを含む活躍でイタリアを世界一に導き、大会最優秀GK賞を受賞した。

この大会の活躍で、ブッフォンはバロンドール投票でも3位に入賞。FWやMFが独占してきた賞にGKとして食い込んだ事実は、サッカー界全体に衝撃を与えた。

カルチョポリの嵐とユベントスへの忠義

2006年、ユベントスは「カルチョポリ(審判買収スキャンダル)」によりセリエBへの降格処分を受けた。多くのスター選手がクラブを離れる中、ブッフォンはクラブに残る道を選んだ。

「ユベントスが助けを必要としているとき、私は去らない」。その言葉通り、ブッフォンはセリエBでも変わらぬパフォーマンスを発揮し、翌シーズンの1部復帰に貢献した。一つのクラブへの忠誠という意味では、マルディーニと並ぶイタリアサッカーの象徴的行為だった。

2017年にCL決勝に進出(レアルに敗退)した時、ブッフォンは39歳だった。「40歳近いGKがCL決勝のゴールを守る」——そのことが証明したのは、ブッフォンというGKが単なるアスリートを超えた存在であることだ。2023年にパルマで現役を引退するまで、彼は一度もその「本物」の証明をやめなかった。