2001〜現在 | 戦争を生き延びた少年が世界の頂へ

ルカ・モドリッチ——10年に一度の「常識破り」バロンドール

2025年5月約8分

2018年、バロンドールの歴史が変わった。10年以上にわたってメッシとロナウドが独占し続けたこの賞を、ルカ・モドリッチが奪い取ったのだ。小さな体、穏やかな表情——しかしピッチに立てば、彼は誰よりも広く、誰よりも深く、誰よりも正確にサッカーを「理解」していた。

戦火の中で育んだサッカーへの愛

ルカ・モドリッチは1985年、当時ユーゴスラビア(現クロアチア)のザダル近郊の村に生まれた。彼が幼少期を過ごした1990年代前半、旧ユーゴスラビアは激しい内戦に突入した。モドリッチの祖父はその戦争で命を失い、家族は難民キャンプで生活を余儀なくされた時期もある。

そんな極限の環境の中でも、モドリッチはボールを蹴り続けた。難民キャンプの近くの駐車場で、石ころのようなボールでサッカーをしていた少年が、後に世界最高の選手となる——この物語は、サッカーが持つ力の一つの証明だ。

体が小さすぎるという理由で複数のアカデミーに断られながらも、ディナモ・ザグレブのユースに入団。ここでの育成が彼の土台を作った。

レアル・マドリードでの「黄金時代」

2012年、トッテナムからレアル・マドリードへ移籍したモドリッチは最初の数ヶ月、批判にさらされた。「なぜあんな選手を取ったのか」とマドリードメディアは書き立てた。しかし翌シーズンから彼は沈黙で答えた。

クロース、カゼミロとのトリプルボランチは、現代サッカー史上最も機能した中盤ユニットの一つと評される。モドリッチが担ったのは「つなぎ役」だが、その質は唯一無二だった。狭いスペースでも正確にボールを扱い、プレッシャーを受けても慌てず、常に最善の選択を瞬時に下す。

CL4連覇(2016・2017・2018・2022年)の中で、モドリッチの存在は毎年不可欠だった。タイトルを重ねるごとに評価は高まり、2018年にはクロアチア代表をW杯決勝に導くという個人的な偉業まで達成した。

バロンドールと「真の偉大さ」の証明

2018年W杯ロシア大会、クロアチアは劇的な試合を連続で制し決勝へ。モドリッチは大会全体を通じて圧倒的なパフォーマンスを見せ、大会最優秀選手賞(ゴールデンボール)を受賞した。決勝でフランスに敗れ準優勝に終わったが、その戦いぶりは世界中の心を動かした。

そしてその年のバロンドール——10年以上続いた「メッシかロナウドか」という二項対立を破り、モドリッチが受賞した。172cmの、走力に優れているわけでもなく、ゴールを量産するわけでもない選手が、世界最高の称号を得た瞬間は、多くのサッカーファンに「本当に大切なものは何か」を問い直させた。

「私はいつも夢を持ち続けた。たとえ人が不可能だと言っても」——授賞式でのこの言葉は、彼の人生そのものだ。難民キャンプから世界の頂へ。モドリッチの物語は、サッカーが時として奇跡を起こすことの、これ以上ない証明だった。