1998〜2015 | キャプテンが体現した「忠誠と惜しさ」

スティーブン・ジェラード——リバプールに捧げた17年間と「スリップ」の悲劇

2026年9月約7分
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Hara Tech 編集部

欧州サッカー専門メディア「ultrasrei.com」編集部。プレミアリーグ・ラ・リーガ・セリエAを中心に、戦術・歴史・選手考察を発信。

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スティーブン・ジェラードはリバプールのアカデミーで育ち、17年間一筋でプレーした。2005年CL優勝の立役者でありながら、プレミアリーグ優勝だけはついに果たせなかった。2014年の「スリップ」は今もサッカーで最も語られる「もしも」の瞬間だ。

アンフィールドで育った「完全なMF」

スティーブン・ジェラードは1980年、リバプール郊外のウィドネスに生まれた。幼少期からリバプールのアカデミーで育ち、8歳の時には従兄のジョン・ポールがヒルズボロの悲劇で亡くなるという経験をした。この悲劇はジェラードにリバプールとの特別な絆を刻んだ。

ジェラードのプレースタイルは「完全なMF」だった。守備もできる、シュートも打てる、ロングパスも精確、走力もある——ボランチにしてはゴールへの意識が高すぎるほどで、通算186ゴールはMFとして異例の数字だ。

2005年CL——ハーフタイムのスピーチと奇跡

イスタンブールの奇跡の章では言及したが、ジェラードの視点から語ることも必要だ。ハーフタイム0-3の更衣室で、ジェラードはキャプテンとして仲間に語りかけた。「恥ずかしい試合はできない。ファンのために戦おう」——この言葉がチームに火をつけた。

後半の1点目は自らヘッドで叩き込んだ。この1点が「奇跡の夜」のスイッチを入れた。ジェラードはこの試合をキャリア最高の夜と呼ぶが、同時に「あの試合で私たちは一つになった」と語る。ビッグゲームでの存在感がジェラードの最大の武器だった。

2014年の「スリップ」——最も痛い瞬間

2014年4月27日、リバプール対チェルシー。この試合に勝てばプレミア優勝に大きく前進できる試合で、ジェラードは後半にピッチ内でスリップし、チェルシーのデンバ・バに決められて0-2の敗戦に終わった。結局リバプールはプレミアを逃した。

「スリップ」は今もジェラードの名前と切り離せない出来事として語られる。しかしサッカーファンの多くは、それ以上に彼の17年間の献身を記憶している。完璧ではないが、自分のすべてをリバプールに捧げた——ジェラードの物語はその「人間らしさ」ゆえに多くの人の心に残り続けている。