2006年 | 「友達の大会」とクリンスマンの革命

2006年ドイツW杯——地元開催で蘇ったドイツサッカーの誇り

2025年5月約7分
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Hara Tech 編集部

欧州サッカー専門メディア「ultrasrei.com」編集部。プレミアリーグ・ラ・リーガ・セリエAを中心に、戦術・歴史・選手考察を発信。

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2006年W杯をドイツで開催した際、ドイツ代表は準決勝でイタリアに敗れて3位に終わった。しかしユルゲン・クリンスマン監督が持ち込んだ「攻撃的サッカーへの転換」と国民の熱狂は、その後のドイツサッカー黄金時代の礎となった。

クリンスマンの「アメリカ流改革」

クリンスマンはアメリカ・ロサンゼルス在住のまま代表監督に就任し、従来のドイツサッカーの価値観に挑戦した。守備的なスタイルから脱却し、積極的に前へ出るサッカーを要求。また科学的なフィジカルトレーニングや心理面のケアを導入し、チームの雰囲気を一変させた。

これはドイツ国内で大きな批判を受けたが、W杯での結果がクリンスマンの方向性を正当化した。

準決勝——イタリアに延長で屈した120分

準決勝のイタリア戦はドルトムントで行われた。延長前半まで0-0の熱戦が続いたが、後半119分と120分に立て続けに失点して0-2で敗退。ドイツのW杯は3位で終わった。

しかし大会全体を通じてドイツのサッカーに熱狂した国民の姿は「奇跡の夏」として記憶されている。この大会での経験がローウ体制への引き継ぎとなり、2014年のW杯優勝へとつながっていった。