1995〜2016 | チェルシーの心臓が示したMFの新定義
フランク・ランパード——「ゴールを奪うボランチ」という革命
ボランチは守備をする。ゴールはFWが決める——その常識を、フランク・ランパードは根底から覆した。チェルシーの選手として172ゴールを記録したMFは、ミッドフィールダーというポジションに「得点」という新たな概念を加えた時代の革命児だった。
ウェストハム育ちの「叩き上げ」
フランク・ランパードは1978年、イングランドのロムフォードに生まれた。父フランク・ランパード・シニアもウェストハムで活躍したプロ選手であり、サッカーへの情熱はDNAに刻まれていた。
ウェストハムのアカデミーで育ち、20歳でトップチームの主力となったランパードは、2001年にチェルシーへ移籍。当初はウェストハムサポーターから「裏切り者」と罵声を浴びせられることもあったが、チェルシーでの活躍がやがてその声を黙らせた。
ジョゼ・モウリーニョが2004年に就任すると、ランパードの才能は完全に開花した。モウリーニョはランパードをシステムの中心に据え、攻守のハブとして機能させた。この2年間でチェルシーはプレミアリーグを連覇し、ランパードはその心臓として君臨した。
バロンドール2位——世界が認めた「偽ボランチ」
2005年、ランパードはバロンドールの投票で2位に入賞した。1位はロナウジーニョという圧倒的な年だったが、FWでもなくMFがここまで評価された事実は、ランパードというプレーヤーの異常性を示していた。
そのシーズン、ランパードはすべての大会を通じて29ゴールを記録。ボランチとしては想像を絶する数字だ。しかも彼のゴールはラッキーなものではなく、ペナルティエリア外からの正確なミドルシュート、絶妙なタイミングでの飛び出しなど、質の高いものばかりだった。
「ランパードはどこにでも現れる」とはよく言われた評だ。守備に追われているかと思えば、次の瞬間にはゴール前に顔を出してシュートを放つ。このどこにでも現れる能力こそが、彼の最大の武器だった。
2012年CL優勝——最後の夢の実現
チェルシーでのキャリアを通じてランパードが一つだけ達成できていなかったのが、CLのタイトルだった。2012年、ミュンヘンのアリアンツ・アレーナで行われた決勝——相手は地元バイエルン・ミュンヘンという絶対的不利な状況だった。
延長後半、ほぼ終了かと思われた場面でランパードが同点ゴールを決め、試合はPK戦へ。チェルシーはPK戦を制し、クラブ史上初のCL優勝を成し遂げた。その場にランパードがいたことは、偶然ではなく必然だった。
その後は故郷イングランドに戻りマンチェスター・シティとNYシティでプレー。引退後は指導者に転身し、チェルシーの監督も務めた。「チェルシーの伝説」として、スタンフォード・ブリッジには彼の銅像が立つ。プレーヤーとしての遺産は、数字と記憶の両方に永遠に刻まれている。