1988〜2004 | イタリア最後の「純粋な10番」が遺した美しさ
ロベルト・バッジョ——1994年W杯の涙と「神の尻尾」の伝説
1994年W杯決勝、ロベルト・バッジョは失意のうつむいた姿で歴史に刻まれた。PK戦の最後のキックを外し、ブラジルに敗れたイタリア。しかしバッジョがその大会で体現したサッカーの美しさは、敗北の記憶を超えて語り継がれている。「神の尻尾(コーダ・ディヴィーナ)」が残した足跡を辿る。
「神の尻尾」という名の選手
ロベルト・バッジョは1967年、イタリアのヴィチェンツァに生まれた。子供の頃から別格の技術を持ち、フィオレンティーナで頭角を現した後、1990年にユベントスへ移籍。この移籍に怒ったフィオレンティーナのサポーターが暴動を起こしたほど、彼はクラブに愛されていた。
「コーダ・ディヴィーナ(神の尻尾)」——これはバッジョのトレードマークである後ろに結んだ髪型から来たニックネームだ。仏教徒であることでも知られ、試合前の瞑想を欠かさなかった。ゴールを決めた後に合掌するジェスチャーは世界中のファンに愛された。
1993年にバロンドールを受賞。ジズー(ジダン)やロナウドが台頭する直前、最後の「純粋なイタリア人10番」として世界最高の称号を得た。
1994年、一人でイタリアを決勝へ
1994年アメリカW杯、イタリアはグループリーグで低調だった。しかしバッジョが一人でチームを引っ張り、決勝トーナメントに進出した。ラウンド16のナイジェリア戦では試合終了直前に同点ゴールを決め、延長でも追加点を奪う劇的な勝利を演出した。
準々決勝スペイン戦でも決勝ゴール、準決勝ブルガリア戦でも2ゴール。バッジョなしではイタリアのW杯は存在しなかった。この大会の彼のゴール数(5ゴール)は今もイタリア代表W杯ベスト記録の一つだ。
世界中がバッジョに魅了された大会だった。彼のプレーにはルールの外に「美しさ」があり、見る人を問わずサッカーの喜びを感じさせる力があった。
あの涙と、それでも残るもの
決勝のブラジル戦はスコアレスのまま延長を終えPK戦へ。バッジョは5人目のキッカーとして登場し、外した。うつむいた彼の姿は、その後30年以上にわたってW杯の「最も記憶に残る場面」に選ばれ続けている。
「あのPKの記憶は今でも夢に見る」とバッジョは晩年語った。しかし世界のサッカーファンの多くは、あの瞬間を「失敗の記憶」ではなく「一人の人間が限界まで戦った記録」として捉えている。
引退後も選手育成に携わり続けるバッジョが残したものは、あの涙を超えたところにある。「どんなに美しくプレーしても、最後は人間だ」という、サッカーが持つ根本的な物語を、彼は体で示してくれた。