1994〜2011 | 怪我と病と戦い続けた真の天才
ロナウド・ナザリオ——「現象」と呼ばれた男の短すぎた全盛期
バロンドールを3度受賞し、W杯で2度の世界一を経験したロナウド・ナザリオ。しかし彼のキャリアを語る時、欠かせないのは「もしも怪我がなければ」という言葉だ。病と怪我に何度も倒れながら、その度に復活した「現象(フェノメノ)」の物語は、純粋な才能の話であると同時に、人間の意志の物語でもある。
17歳でW杯を席巻したブラジルの怪物
ロナウドは1976年、リオデジャネイロのベント・リベイロに生まれた。貧しい家庭の出身で、幼少期から路上でボールを蹴り続けた。その才能はすぐに世界の目に触れることになる——17歳でブラジル代表に招集され、1994年W杯ではサブとして優勝を経験した。
翌年からバルセロナへ移籍し、1シーズンで34ゴール。リーガ得点王と欧州最優秀選手を同時に獲得した。まだ19歳だった。このシーズンの彼のプレーは「生涯で見た中で最も素晴らしいFW」と当時のバルサ監督ボビー・ロブソンをして言わしめるほどだった。
その後インテル・ミラノへ移籍し、セリエAでも爆発。1997年と2002年に計3度のバロンドールを受賞した(1997年・1998年・2002年)。しかしその間に、彼は何度も膝の悲劇に見舞われることになる。
膝の悲劇と「フェノメノ」の証明
1999年、ロナウドは試合中に右膝の靭帯を断裂した。復帰したと思えば翌年また断裂。さらに2000年には別の膝の怪我——同じ選手が3度の深刻な膝の怪我を経験するなど、通常は再起不能を意味する。
1998年W杯決勝の前夜、ロナウドは謎の発作(後に痙攣と判明)を起こしたことも有名だ。当日のメンバー表から名前が消え、直前に追加されるという混乱の中で出場したフランス戦で、ブラジルは0-3で惨敗した。
しかしロナウドは諦めなかった。数年間のリハビリを経て2002年W杯に復帰。大会全体で8ゴールを挙げて得点王となり、ブラジルの優勝を牽引した。決勝ドイツ戦での2ゴールは、病と怪我に打ち勝った男への世界中の喝采を呼んだ。この復活劇は「スポーツ史上最も感動的な復活」の一つとして語り継がれている。
レアル・マドリードでの輝きと晩年
2002年にレアル・マドリードへ移籍したロナウドは、ガラクティコス軍団の一員として再び世界を魅了した。ジダン、フィーゴ、ラウルらとともにプレーし、リーガで2度の得点王を獲得。2003年に23ゴールを挙げた時の彼のパフォーマンスは、衰えを全く感じさせないものだった。
しかし甲状腺の病気による体重増加、さらなる怪我が彼を苦しめた。全盛期の爆発的スピードは戻らず、2007年にマドリードを去った。ACミランを経て、最後はブラジルのコリンチャンスでキャリアを終えた。
もし怪我がなければ——この問いに意味はないかもしれない。しかし健康だった数年間に彼が見せたプレーは、FWというポジションの可能性の極致を示していた。スピード、ドリブル、シュートのすべてが完璧に融合した「現象」は、たとえ短くとも、サッカー史上最も眩しい光の一つとして輝き続けている。