1996〜1998 | 19歳でバロンドール、史上最速の頂点
R9の全盛期——バルサ・インテル時代に世界を震撼させた「現象」
1996年バルセロナ加入時、ロナウド・ルイス・ナザーリオはまだ19歳だった。しかしその1年で欧州を席巻し、史上最年少でバロンドールを受賞。翌年インテルへ移籍後も圧倒的なパフォーマンスを見せた。けがに倒れる前の「現象」は、人類が見た中で最も完成されたストライカーだったかもしれない。
バルセロナで過ごした「奇跡の1年」
1996年夏、PSVアイントホーフェンからバルセロナへ移籍したロナウドは19歳だった。移籍金は当時の世界記録に近い約40億円。「これほどの金額をティーンエイジャーに払うのか」という批判もあったが、シーズンが始まると誰も文句を言えなくなった。
バルセロナでの1シーズンで47試合34ゴール。しかし数字以上に衝撃的だったのはプレーの質だった。190cmのDFを子供扱いするドリブル突破、GKとの1対1での圧倒的な落ち着き、そして驚異的なスピード——すべてが「次元が違う」と評されるものだった。コパ・デル・レイ決勝でのアトレティコ・マドリード戦での個人技を駆使したゴールは今もYouTubeで数千万回再生される伝説的な場面だ。
この年のバロンドールは史上最年少(20歳)での受賞記録となった。FIFAの年間最優秀選手賞も同時受賞。サッカー界は「20年に一人の天才」の誕生を確信した。
インテルへの移籍——セリエAを支配した「フェノーメノ」
バルセロナとの契約問題が複雑化し、1997年夏にインテル・ミラノへ移籍。移籍金は約62億円で当時の世界記録を更新した。セリエAという当時世界最高峰のリーグに乗り込んだロナウドは、そこでも圧倒的な存在感を示した。
加入初年度に27ゴールを記録し、UEFAカップ制覇に貢献。「フェノーメノ(現象)」という呼び名がこの頃から定着した。イタリアの堅固な守備陣を相手に叩き出したゴール数は、当時のセリエAで他の追随を許さないものだった。
特に印象的だったのはその多様性だ。強引なドリブルで抜き切ってからのシュート、裏への鋭い抜け出しからの冷静なフィニッシュ、遠目からの豪快なミドル——決め方のバリエーションが異常に豊富で、相手DFは「何をされるかわからない」という恐怖を常に抱えていた。この時期のロナウドを見た者は口を揃えて言う。「あんな選手はもう二度と出てこない」と。
1998年W杯——謎の発作と、届かなかった頂点
1998年フランスW杯、ブラジルは決勝でフランスと対戦した。しかし前日夜に原因不明の痙攣発作を起こしたロナウドは、明らかに万全でない状態でピッチに立った。ブラジルは0-3で完敗し、21歳の「現象」は初のW杯制覇を逃した。
その後、足首の重傷が彼を長期離脱へと追い込んだ。1999年から2001年にかけて2度の大手術。「もう走れないのではないか」という声が世界中に広まった。もし怪我がなければ——この問いは、サッカー史上最大の「if」の一つとして今も語り継がれる。健康なままキャリアを全うしていたら、ゴール数も、タイトル数も、バロンドール受賞数も、想像を絶するものになっていたはずだ。