The Athletic2026年8月19日 17:40

シャビ・アロンソを生んだバスクの「ドリームチーム」──イラオラ、アルテタと砂浜で育った伝説の育成クラブ

英メディア『The Athletic』が伝えた。チェルシーのシャビ・アロンソ、アーセナルのミケル・アルテタ、リヴァプールのアンドニ・イラオラ。今季プレミアリーグで最も注目される監督3人の名前が、スペイン北部の一つの小さなクラブの壁に飾られている。バスク地方サン・セバスティアン(スペイン北部の美しい港湾都市)にあるアンティグオコKEだ。

クラブの事務所は、ラ・コンチャ湾(サン・セバスティアンを代表する半円形の入り江)からわずか数百メートル、8階建てのアパートの陰にひっそりと構えている。入り口を見つけるのも容易ではないが、扉を開けると、スペイン(いや、現代スポーツ全体)でも最も信じがたい統計の数々が出迎える。長年コーチを務めるロベルト・モンティエルは言う。「今、プレミアリーグにはアンティグオコ出身の監督が3人いる。今夏の時点でプレミアリーグに残った英国人監督は3人だったが、我々の教え子3人は最高峰のクラブにいる」

これまでにトップリーグへ巣立った選手は40人を超える。ユースの試合には毎回200人近い観客が集まるが、驚くべきことにそのうち約50人がプロクラブのスカウトだという。

✅「サン・セバスティアンにはもう一人のメッシがいる」と噂された9歳のアルテタ 壁にはシャビ・アロンソが2005年CL決勝(対ミラン)でリヴァプール在籍時に履いたスパイクが飾られている。「不安のにおいがする」という冗談つきで。あの試合でリヴァプールは前半0-3から逆転し、PK戦を制した。ミケル・アルテタのスパイクもガラスケースに収められ、博物館のように展示されている。

クラブ会長のエドルタ・サレギは語る。「私は当時、U-9チームを指導していた。ある選手の父親が近づいてきて、『学校にすごいやつがいる、あの子は怪物だ』と言ってきた。多くの親が口々に同じことを言う。見に行ったのがミケル・アルテタだった。彼は群を抜いていた。9歳で、普通じゃないプレーをしていた」

元選手でのちにセンターバックを務めたアルバロ・パラも当時を振り返る。バルサファンだったはずのアルテタは、FIFAのゲームをするとき常にアーセナルを選んでいたという。そしてパラが最も印象深い話として語るのが、クラスメートのエピソードだ。「ミケルのクラスにダウン症の子がいた。サッカーをすると、ミケルは相手チーム全員を抜いてゴール前まで行ける。でも彼はそこで止まって、パスを出す。その子がゴールを決めるために」

✅「当時のシャビは小柄で、あまり上手くなかった」 イラオラは1982年6月生まれ。アルテタは同年3月生まれで、出生地はわずか10キロ離れている。シャビ・アロンソはひとつ上の学年で、将来アスレティック・クラブとスペイン代表でFWとなるアリツ・アドゥリスと同学年だった。4人が同じアンティグオコのチームに並んでいたこともあった。

パラは当時のシャビについてこう語る。「ベニドルム(スペイン東部の地中海リゾート都市)のトーナメントで、全員が違うポジションでプレーする試合があった。アドゥリスがGK、シャビがFW、イラオラが左MFに入った。毎試合負け続けて、主催者に怒られた。『リーグ優勝したチームがなんてザマだ』と。元のポジションに戻したら、決勝でシャビがハーフウェイライン付近から決勝ゴールを決めて優勝した」

シャビは当時「小柄で、あまり上手くなかった」とクラブ内では評されていた。U-17決勝では、会長自らベンチに置いた。「兄のミケル・アロンソのほうが才能があると思っていた。だがシャビは17歳で急成長し、中盤を制圧するようになった」

✅「波が来ても、砂の上でやり続けた」──ラ・コンチャ浜の特訓 3人の出発点は、クラブ近くのラ・コンチャ浜だ。カンタブリア海(スペイン北部に面するビスケー湾)から吹き付ける冷たい風の中、携帯式ゴールを設置し、潮が引いた砂浜でボールを蹴った。「砂浜は体力的な負荷が高い。それが選手の性格を作る。コーナーキックを蹴ろうとした瞬間に波が来ることもある」とサレギ。モンティエルも言う。「水たまりがあっても、向き合うしかない。湿った砂を乗り越えるしかない」

U-14世代は、砂浜からほど近いベリオ競技場(アンティグオコのホームグラウンド)横の砂利グラウンドでも練習した。モンティエルはイラオラについてこう語る。「年上のチームと戦うリーグで戦い、多くの試合を1-0で制していた。ある日、こんな練習をした。アンドニにボールを預け、3人が反則なしで奪いにいく。全力で当たれ、と。1分経っても誰も取れなかった。私は言った。『残り5分でしなければならないのはこれだ。ここに神に与えられた才能を持つ選手がいる。やることは一つ──彼にボールを渡せ』」

✅イラオラを右SBに変えたバルベルデの慧眼 イラオラはサン・セバスティアン郊外の小さな町ウスルビル出身の一人っ子で、「とても内気で物静かな少年だった」とパラは言う。アンティグオコでは右ウィングを務めていたが、アスレティック・クラブに入団するとエルネスト・バルベルデが彼を右SBに転向させた。最初は戸惑ったイラオラに、バルベルデはこう言った。「お前はスペインで最高の右SBになれる」

✅「マドリーよりも有名」──ラ・マシアをも上回る可能性 パラはアンティグオコをこう評する。「今のスペインで最も有名なアカデミーだ。バルサのラ・マシアの次に。マドリーよりは確実に上。輩出率ではバルサをも上回るかもしれない」。実際、過去のトーナメントではレアル・ソシエダに5-0、マドリーに4点を奪ったこともある。チェルシー、アーセナル、リヴァプールの監督3人に加え、アーセナルMFのマルティン・スビメンディもアンティグオコの出身だとサレギは目を輝かせながら語る。

グリースマンを巡るエピソードも興味深い。サレギがマンチェスター・シティの元SDチキ・ベギリスタインの家に招かれた際、「今のマドリーから誰を獲りたいか」と問われた。「アントワーヌ・グリースマン。ソシエダに若い選手がいる、まだ知られていないが素晴らしい。彼を獲れ、と言った」。しかしシティは動かなかった。「後日、チキに言ったんだ。『どうだ?私の言うことを聞かないから』と」

✅3人が結んだ共通点 「とにかく静かで、成績優秀で、しっかりした頭を持った3人だった」とサレギ。アルテタはバルサに引き抜かれ、アロンソはソシエダでプロデビューを飾った後、リヴァプール、マドリー、バイエルンと渡り歩きキャリアを築いた。イラオラはアスレティック・クラブの主力として長くプレーし、MLS(ニューヨーク・シティFC)で現役を終えた後、アンティグオコに戻って育成コーチを務めた。

「イラオラはいわゆる典型的なフットボーラーではない」とパラは言う。「派手な車にも着飾ることにも興味がない。自分の人生があって、サッカーはその仕事。それだけだ」。あの砂利グラウンドは今や人工芝に変わり、スタンドも整備された。アスレティック・クラブとは2030年まで提携協定を結んでいる。そしてアンティグオコの壁には今日も、シャビ・アロンソの「不安のにおいがする」スパイクが、チェルシーの青を纏った監督の未来を見つめるように飾られている。

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