AS2026年8月20日 12:59

ディ・ステファノからクリスティアーノまで──マドリー史上最も痛烈な別れ12選

スペイン紙『AS』が伝えた。百年を超えるマドリーの歴史の中で、クラブを去った伝説たちの「別れの瞬間」を振り返る。

✅アルフレッド・ディ・ステファノ(1964年) 最も衝撃的な別れは、クラブの象徴そのものだった。1953年に加入したディ・ステファノは11年間白いシャツを着続けたが、1964年夏にウィーンでCL決勝をインテルに1-3で落とした後、ミゲル・ムニョス監督と激しく対立。コパ・デル・レイのアトレティコ戦で、監督は理由も告げずディ・ステファノをメンバーから外した。激怒した彼にベルナベウ会長は監督を支持。最終的にディ・ステファノはエスパニョールへ移籍した。後年、フロレンティーノ・ペレスが名誉会長として彼を呼び戻す。

✅パコ・ヘント(1971年) 欧州カップを6度制した唯一の選手も、去り際は静かではなかった。1971年の欧州カップウィナーズカップ決勝でチェルシーに敗れた後、ベルナベウ会長は若返りを決断。GMのライムンド・サポルタから電話を受けたヘントは「アルフレッドのことを思い出した」と語った。「ユース監督にならないか、給与は今と同じだ」と告げられ、そのまま選手生活に幕を下ろした。「チームの選手はユニフォーム姿、私はスーツ姿でいた。そうして去った」。

✅アマンシオ(1976年) 前半のCL5連覇世代と、後に続く「イェイェ世代」をつなぐ存在だったアマンシオは、1976年に引退。最後のCLの試合はミュンヘンで、退場という苦い幕切れだった。選手としての別れを告げたが、その後コーチングスタッフに加わった。

✅マヌエル・ベラスケス(1977年) マドリード生まれのベラスケスはサンティアゴ・ベルナベウ会長とたびたびぶつかった。1971年の欧州カップウィナーズカップ決勝後、友人ペドロ・デ・フェリペを庇って会長と正面衝突。それでも会長は実力を認め1977年まで在籍させた。しかし自分の契約更新がないことを知ったのは廊下での偶然だった。チームメートのパウル・ブライトナーが移籍交渉のため来訪し、別れ際にベラスケスが「また会おう」と言うと、ブライトナーが返した。「もちろん、2ヶ月後に君の引退記念試合で」。こうして1977年8月、マドリー対アイントラハト・ブラウンシュヴァイクの引退試合が行われた。

✅エミリオ・ブトラゲーニョ(1995年) 「エル・ブイトレ=ハゲワシ」の愛称を持つブトラゲーニョは1995年5月18日、ラモン・メンドーサ会長とともに記者会見に臨み「マドリーを去ることが最善」と告げた。1994年夏にバルダーノが就任し、さらに若きラウールが台頭したことで出場機会は12試合・1ゴールに激減。それでもリーガ優勝で締めくくり、若きトッティ擁するローマとの引退試合も行われた。その後メキシコのセラヤで現役を終え、現在はマドリーの機関関係ディレクターを務める。

✅プレドラグ・ミヤトヴィッチ(1999年) 32年ぶりのCL制覇を決定付けた男が、わずか3年で去った。1996年に移籍金12億5000万ペセタで加入し、リーガ・CL・スーペルコパ・インターコンチネンタルを制覇。しかし1999年、ジョン・トシャック監督の構想外と知るや、フィオレンティーナへの移籍を承諾。残り3年の契約があったにもかかわらず。去り際の言葉は刺さる一言だった。「去るのは、必要とされていないから」。

✅フェルナンド・レドンド(2000年) オールド・トラッフォードの伝説のバックヒールアシストでCL準決勝を制した立役者が、翌夏に放出された。フロレンティーノ・ペレスが会長に就任し、ルイス・フィーゴ獲得の資金捻出のため、ACミランが提示した18億円(約18M€)でレドンドを売却。1994年から6年間、アルゼンチン風の独特な個性でチームを牽引した男が去った。「フィーゴに使う資金のために売られた」とレドンドは語った。マドリーはスターを手放してスターを得たが、更衣室でのリーダーシップという財産を失った。

✅フェルナンド・イエロ(2003年) 2002-03シーズン、アスレティック戦でリーガ優勝を決めた翌日、主将イエロの放出が発表された。優勝後の更衣室でバルダーノとのトラブル、選手たちによるファン・報道陣へのすっぽかし、セレモニーへの遅刻騒動など混乱が続いた。翌日の取締役会の長い会議の末、イエロはクラブを去った。

✅ビセンテ・デル・ボスケ(2003年) 1999年にトシャック後任として就任したデル・ボスケは、パリでバレンシアを3-0で下し「第8のCL」を制覇。2つのリーガ、2つのCL、インターコンチネンタルなど多くのタイトルを積み上げた。しかしリーガ優勝の翌日、更新なしを通告された。バルダーノは「方針転換の時」と語った。後任のカルロス・ケイロスのマドリーはコパ決勝敗退・CLでモナコに敗退・リーグ最終5連敗という惨状に終わった。

✅ラウール・ゴンサレス(2010年) 「ラウール・マドリー」と呼ばれた時代を作った男は16年間・700試合超・300ゴールを経て、シャルケへと旅立った。ペジェグリーニ政権でスタメンを失い始め、最後のゴールはデビューの地と同じラ・ロマレーダだった。33歳でドイツへ渡り、カタール、アメリカでさらに7年プレーした。

✅イケル・カシージャス(2015年) 16年間ゴールを守り続けたカシージャスの別れは、二段階に渡った。まず単独の記者会見でポルトガル移籍を発表。しかし翌日、フロレンティーノ会長が「本人が望んだ演出だ、彼が望んで去った」と説明する事態になり、改めてベルナベウでトロフィーを抱えた「第二の別れ」が行われた。モウリーニョとの確執、ディエゴ・ロペスやケイラー・ナバスに正GKの座を明け渡した末の退場。その後心筋梗塞を乗り越え現役を終えた彼は、今フロレンティーノの顧問として復帰しようとしている。

✅クリスティアーノ・ロナウド(2018年) CL3連覇の喜びもつかの間、クリスティアーノが冷や水を浴びせた。「マドリーにいられて良かった……」。9年間・438試合・450ゴールという歴代最多記録を作った最高得点者が、ロシアW杯中の7月にユヴェントスへ去った(移籍金約100M€超)。理由は報酬をめぐるクラブとの軋轢──バルセロナがメッシを優遇していると感じていた。彼の離脱後、1年間で監督が3人交代するという混乱が続いた。しかし時は過ぎ、今やフロレンティーノとの関係は修復されたという。

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