← ニュース一覧へ
AS2026年10月1日 07:00

マドリーを支えた2人のキットマンが退職──38年間見届けた9度のCL制覇

スペイン紙『AS』が伝えた。マドリーのトップチームで長年キットマン(用具係)を務めたホルヘ・カサベーリャ氏とマヌエル・オルテガ氏が、この夏、クラブの早期退職制度を利用して退職した。

✅ モウリーニョが驚いた「人の少なさ」

この夏、モウリーニョ監督が就任した直後のこと。2010年から2013年までクラブにいたモウリーニョ監督は、多くのことに驚き、特に人が足りない、それもあまりに多くの人がいないと感じたという。 説明によると、クラブは60歳以上で一定の勤続年数がある職員を対象に早期退職制度を始めており、少なくとも約60人が応じた。 その中に、トップチームのキットマンだったホルヘ・カサベーリャ氏と、「マノリン」の愛称で知られるマヌエル・オルテガ氏がいた。3月にはアレハンドロ・カサベーリャ氏も早期退職している。 昨季最後の練習となった5月22日(金)が、2人の最後の勤務日だった。選手たちが作った花道を通り、記念の盾を受け取ってクラブを去った。人目につかない、地道な仕事だった。

✅ クラブを支え続けたカサベーリャ家

ホルヘ氏は、クラブに仕えてきたカサベーリャ家の一員だ。父のフリオ・カサベーリャ氏は、1948年にわずか15歳でクラブに入った。 フリオ氏はクラブであらゆる仕事をこなした。入り口の門番、案内係、電話交換手、パドレ・ダミアン通り沿いにあったプール(後にLa Esquina del Bernabéuが建てられた場所)の管理者を経て、22年間グラウンド担当ディレクターを務めた。 1998年のCL準決勝ドルトムント戦でゴールが倒れた「ゴール事件」の日には、アグスティン・エレリン氏、弟のエドゥアルド氏、ミゲル・アンヘル氏とともに、旧シウダ・デポルティーバまで代わりのゴールを取りに行った中心人物の一人だった。フリオ氏は2004年、休養先のエルチェで亡くなった。 叔父のエドゥアルド・カサベーリャ氏も、1980年から2009年に引退するまでクラブで働いた。バスケットボールのトップチームとカスティージャでグラウンド担当ディレクターを務め、ペーニャ(ファンクラブ)「Casabella」の会長でもあった。2020年5月に亡くなっている。

✅ フラメンコの巨匠の孫「マノリン」

もう一人のマヌエル・オルテガ・バエナ氏は、フラメンコの伝説的歌手マノロ・カラコルの孫で、驚くほどよく似ているという。 クラブ内で「マノリン」と呼ばれる同氏は、38年間ロッカールームの一員として過ごした。1988年にクラブで働き始めたが、当時すでに祖父も、旧シウダ・デポルティーバやベルナベウの修繕係としてクラブで働いていた。

✅ リスボンでの有名な逸話

マルセロが明かした有名な逸話がある。2014年のリスボンでのCL決勝で、マノリン氏は、アトレティコのスタッフが優勝記念Tシャツの入った箱やお祝いのシャンパンを準備し始めたことに気づき、マルセロに伝えた。 その直後、セルヒオ・ラモスが同点ゴールを決め、試合は延長戦へ。そしてマドリーが優勝を果たした。

✅ 38年で9度のCL制覇を見届ける

38年間で、何世代もの選手たちを見てきた。シュスターと同じ年に加入し、「キンタ・デル・ブイトレ」の時代から、銀河系、BBC、クロース、カゼミーロ、モドリッチの時代を経て、エムバペとヴィニシウスの時代まで。 アムステルダムでの7度目の優勝から、ウェンブリーでの15度目の優勝まで、9度のCL制覇を現場で見届けた。旧シウダ・デポルティーバからバルデベバスまで、クラブの変遷とともに歩んだ。 2人の退職で、クラブの40年近い歴史も去っていく。揺るぎない勝利も、忘れられない敗北と痛みも、つらい別れも、心躍る出会いも見てきた。20世紀最高のクラブ、そして21世紀の一部の歴史の証人だった、と同紙は結んでいる。

関連記事

よく読まれている記事

  1. 1モウリーニョ、早くも「最初の警告」
  2. 2エムバペ、11月2日が「期限」
  3. 3センターバック緊急事態——マドリー開幕戦はCB3人のみ
  4. 4ロドリがバルセロナを選んだ理由──マドリーが忘れられない「拒絶」の舞台裏
  5. 5ヴィニシウスの序列が崩れ始めた

ultrasrei.com のコンテンツ