AS2026年8月14日 17:37

「選手を破壊していた…尋常じゃなかった」——ヤン・ディオマンデの原点を追う

スペイン紙『AS』が伝えた。🇨🇮アビジャンで25人と暮らし、スパイクも持たずに土の上でサッカーを続けた少年。9歳の頃、強烈なシュートで「ロベルト・カルロス」と呼ばれながら、心の中ではクリスティアーノ・ロナウドに憧れていた。10歳で初めてスパイクを手にすると、それを抱きしめて眠った。15歳でフロリダへ渡り、英語も話せないままマイアミに降り立ったディオマンデを、🇺🇸DMEアカデミーのトッド・イーソン元ディレクターが車で迎えた。「フランス語の曲を流したら、曲を聞き覚えていた彼が笑顔を見せた。それが最初の"会話"だった」。🇨🇮アビジャンから8000キロ以上離れた異国で、彼の物語が動き出した。

DMEでの最初のトレーニングから、イーソンには確信があった。「アフリカ出身の選手は多く見てきた。米国人選手より高いレベルにある子は珍しくない。でもディオを見た瞬間、"これは面白いことになる"と思った」。16歳で🇺🇸USPL(半プロリーグ)に参加すると、成人選手を相手に圧倒的な存在感を示した。対戦相手のアレクシス・ウルエニャは「ヴィニシウスみたいだった。チームで"なんでこのリーグにいるの?"と話し合っていた」と証言。サメル・ジャハワリも「速さ・パワー・技術の組み合わせがほぼ守れない選手だった。ダブルチームを組んでも止められなかった」と振り返る。

2023年春、🇺🇸コロラド・ラピッズBチームとの試合が転機となった。18〜24歳の選手を相手に、16歳のディオマンデは4-3の勝利で全4ゴールに絡んだ。「選手たちを破壊していた…これは尋常じゃない、今まで見たことのないものを見た」とイーソン。ラピッズは彼に最初の買い取りオファーを提示した。しかしイーソンはそれ以上のものを感じていた。「彼はどんなレベルにも適応した。それが最大の資質だった」

際立っていたのは、プレーの質だけではなかった。「ドリブルで全員抜くことはできた。でも彼はそうしなかった。仲間を巻き込もうとした。相手のレベルが上がれば自分もその分だけ上げる——それ以上はやらない。フェノーメノだった」とイーソンは語る。「だからこそマドリーにフィットすると思う。エムバペ、ヴィニ、ベリンガムに道を示してもらいながら成長できる。自慢しに来るんじゃなく、プレーしに来る選手だ」。バルなしの戦術理解も突出しており、「ボールを持っていないときの判断が、持っているときよりも優れている。守備意識も最初からあった。典型的なアフリカの選手ではない」とイーソンは付け加えた。

最後にもう一つの側面がある。妹のロクサーヌは、レガネスでリーガデビューを果たしたベルナベウでの試合から数週間後に他界した。今も彼の最大の支えだ。アカデミー時代、彼の望みはただ一つだった。「家族のためにお金を稼ぐこと。ベッドがあって、スパイクがあって、食事がある——普通のことが彼には普通じゃなかった。何も要求せず、すべてに感謝していた」(イーソン)。ウルエニャは「ヤマルやヴィニシウスのレベルに達する素質がある」と断言し、イーソンはこう締めくくった。「ヴィニシウスが好きなら、ディオに恋をするだろう。守備もするし、ハードワークもする。まだキャリアの入り口に過ぎない。払われた移籍金分の価値は十分にある」

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