← ニュース一覧へ
EL PAÍS2026年11月4日 06:50

レアル・マドリードを愛したテネリフェのFWヘスス・デ・ミゲルさん、30歳で死去──下部リーグからゴールでキャリアを築いた「マドリディスタ」

スペイン2部テネリフェのFW、ヘスス・デ・ミゲル・アラメダさん(愛称デミ)が、3日(火)の朝、30歳で亡くなった。 スペイン紙『El País』が、レアル・マドリードのファンだったデミさんの歩みを伝えている。

デミさんは2日(月)、本拠地エスタディオ・エリオドロ・ロドリゲス・ロペスでのアンドラ戦で、アンドラのGKヘスス・オウォノと激しく衝突した。 その後、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・カンデラリア病院で亡くなった。 2回の昇格を祝ったピッチでの出来事だった。

✅ 16歳でつぶやいた「テネリフェ」

デミさんが初めてテネリフェについて書いたのは、16歳のときだった。 2013年1月、当時まだTwitterと呼ばれていたSNSでのことだ。 友人がその夏に予定されていたテネリフェへの修学旅行の話をすると、デミさんは冗談交じりにこう返した。 「答えを教えてくれて、全部合格したら、テネリフェに行くよ。」

それから13年。 テネリフェはデミさんの家になり、エリオドロ・ロドリゲス・ロペスはデミさんのスタジアムになっていた。

✅ 「すごいぞマドリー、すごいぞモドリッチ」

デミさんは、1996年9月21日にマドリードで生まれた。 身長190cm近い、左利きのセンターフォワードだった。 2025年7月のテネリフェ加入時には、「働き者で、チームのためにプレーするFWだと思っている」と自分を語っていた。

10代の頃のSNSへの投稿では、レアル・マドリードへの熱い思いを隠さなかった。 2013年3月5日、マドリーがオールド・トラッフォードでマンチェスター・ユナイテッドに2-1で勝った試合の後には、こう投稿している。 「すごいぞマドリー、すごいぞモドリッチ、すごいぞディエゴ・ロペス!!!!!!!」 マドリーがガラタサライに6-1で勝った試合では、「クリスティアーノすごすぎる!!!!」と書いていた。

✅ 下部リーグからゴールで築いたキャリア

しかし、デミさん自身は、大きなスポットライトから遠い場所で、地道にキャリアを築いた。 ルーゴ・フエンラブラダとレガネスの下部組織で育ち、2015年にレガネスのBチームに昇格したが、トップチームには届かなかった。 プロになる夢を追って、マドリード州やカスティーリャ地方のクラブを渡り歩いた。

初めてエリオドロのピッチに立ったのは、対戦相手としてだった。 2018年5月、インテルナシオナル・デ・マドリーの一員として、テネリフェBとの昇格プレーオフ決勝に臨んだ。 1-1の引き分けで、インテルナシオナル・デ・マドリーは、クラブ史上初めて2部Bへの昇格を果たした。

時期クラブ主な出来事
〜2015年ルーゴ・フエンラブラダ、レガネスの下部組織2015年にレガネスBへ
2018年インテルナシオナル・デ・マドリーテネリフェBとの昇格プレーオフ決勝で2部Bへ昇格
その後フエンラブラダ、ウニオン・アダルベ、ナバルカルネロ—
2021-22ウニオニスタス・デ・サラマンカ12ゴールでゴールゲッターとして台頭
2023年1月〜カステジョン15万ユーロで移籍。23-24はプリメーラ・フェデラシオンのグループ2で得点王(38試合16ゴール6アシスト)、2部昇格
2024-25カステジョン(2部)35試合3ゴール
2025年7月〜テネリフェ2028年までの契約。リーグ29試合11ゴールでグループ優勝、2部昇格

ヘスス・デ・ミゲルさんのキャリア(『El País』の記事をもとに作成)

✅ 「謙虚で、働き者で、いい人だった」

ウニオニスタス・デ・サラマンカでは、21-22シーズンに12ゴールを決めて、ゴールゲッターとして頭角を現した。 そこで、親友の一人になるDFのフェルナンド・ロマンと出会った。 現在タラベラでプレーするロマンは、3日、Xで心のこもった言葉を送った。

「僕にとって、君はそばにいてくれた最高の人の一人だった。 謙虚で、働き者で、もめごとには決して関わらず、周りの人を幸せにしていた。 そして何より、いい人だった。」

ウニオニスタスでの活躍が、2023年1月のカステジョン移籍につながった。 移籍金は15万ユーロだった。 カステジョンでチームメイトだった、現在カステジョンを率いて2部首位を走るパブロ・エルナンデス監督は、「サッカーで出会った中で、最高の人の一人だ」と話した。 当時のチームメイトで、現在サン・アンドレウでプレーするプエルトリコ人のジェレミー・デ・レオンも、SNSで「サッカーがくれた最高の友人の一人。安らかに眠ってくれ、兄弟」と悲しみを伝えた。

✅ 「ヘスス・デ・ミゴレス」

カステジョンで、デミさんは通りすがりのFWではなくなった。 23-24シーズンには、プリメーラ・フェデラシオンのグループ2で、38試合16ゴール6アシストで得点王になり、チームは2部に昇格した。 しかし、2部では35試合で3ゴールにとどまった。

夏、デミさんはプリメーラ・フェデラシオンに戻り、テネリフェに加入した。 16歳のときに修学旅行の話をした、あの島のクラブだ。 テネリフェとは、2028年までの契約を結んだ。 「後退だとは一度も思わなかった。テネリフェに100%、命をかけている」と、2025年10月にラジオ局「Cadena Ser」で話していた。

その言葉どおりの活躍だった。 最初の5節で6ゴール。 1960年代のエンリケ・ビセド、2012-13シーズンのアリダネ・サンタナ以来の、クラブでも例のないスタートだった。 エリオドロのスタンドからは、「ヘスス・デ・ミゴレス(ゴールのヘスス)」と呼ばれた。

シーズンはリーグ29試合11ゴールで終え、テネリフェはグループ優勝で2部に復帰した。 デミさんのキャリアで4回目の昇格だった。 ただ、恥骨炎で終盤の数節を欠場し、夏が過ぎるまで回復しなかったため、喜びは完全なものではなかった。

✅ 島に残る決断

シーズンの終わりには、デミさんの将来は不透明に見えた。 レアル・サラゴサやウエスカなどからオファーも届いた。 しかし、体の問題と本人の意志によって、デミさんは10代の頃に知った島に残ることになった。

2日(月)、デミさんは57分にピッチに入った。 今季の初ゴール、そしてプロサッカー選手として定着するという夢をかなえる1点を求めての出場だった。

レアル・マドリードでは、AEKアテネ戦の前日会見で、カマヴィンガとモウリーニョ監督がデミさんへの哀悼の意を示した。

ヘスス・デ・ミゲルさんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

関連記事

よく読まれている記事

  1. 1モウリーニョ、早くも「最初の警告」
  2. 2エムバペ、11月2日が「期限」
  3. 3レアル・マドリードはなぜカンプ・ノウで勝てたのか——クラシコ 図解戦術分析
  4. 4センターバック緊急事態——マドリー開幕戦はCB3人のみ
  5. 5「ヴィニシウスはW杯後にすり替えられた」ブラジルで広がる荒唐無稽な陰謀論

ultrasrei.com のコンテンツ