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AS2026年10月31日 20:08

レアル・マドリードのモウリーニョ、15年ぶりのサンタンデールで「ジャメヴュ」──見覚えがあるのはホテルと数人だけ、すっかり変わったラシン

スペイン紙『AS』のAlfredo Matilla記者が、15年ぶりにサンタンデールを訪れるモウリーニョ監督と、すっかり変わったラシンについて書いた。

✅ 見覚えがあるのは「ホテル・レアル」

モウリーニョ監督がサンタンデールに戻ると、懐かしく感じるものもいくつかあるだろう。

その一つが「ホテル・レアル」だ。 1度目のマドリー時代にも泊まったホテルで、当時はラシンの合宿先を奪う形になった。 今回もここに泊まり、バルコニーから見える素晴らしい湾の景色を楽しむことになる。

しかし、エル・サルディネロに着いても、見覚えがあるものはほとんどないかもしれない。 かつてセルヒオ・カナレスの「名付け親」となり、「カナレス・マニア」を巻き起こすきっかけを作ったことくらいだ。

スタジアムは、最後に訪れた2011年と同じように見える。 しかし、中身はすっかり変わった。 スタジアムの看板は色鮮やかになり、すり切れた旗もない。 スタンドの色も、新しい希望を担う人たちも変わった。

✅ 選手はほとんど知らない顔

選手たちについては、スタッフが入念に作る試合のレポートを読むまで、ほとんど名前も聞いたことがないかもしれない。

たとえば、ビジャリブレは、モウリーニョ監督が最後にこの地を訪れたとき、まだアスレティックのカデテ(U-16)に入ったばかりだった。

かつて戦ったラシンの選手で、試合前にジャージ姿で顔を合わせるとしたら、ムニティスくらいかもしれない。 今はラシンのメソッド部門の責任者だ。 ほかの当時の対戦相手は、もう現役ではなく、多くはクラブのスタッフになっている。 モウリーニョ監督が戦ったラシンで、今も現役なのは、ジローナでプレーするストゥアーニだけだ。

Matilla記者によると、モウリーニョ監督がすぐに分かりそうなのは、ほぼクラブのエンブレムと同じくらい長くラシンにいるグラウンドの担当者、デルフィン・カルサダ氏くらいだという。

✅ スタンドの空気も一変

スタンドに目をやれば、モウリーニョ監督の過去の訪問を包んでいた暗い雰囲気は、まったく正反対のものになっている。 長年の苦闘と昇格がもたらした希望が、地元のファン全体に広がっている。 応援団「グラドナ・デ・ロス・マルディトス」が、その先頭に立っている。

貴賓席の顔ぶれも、すっかり変わった。 当時の市長も、カンタブリア州の首相もいない。 モウリーニョ監督を崇拝していた熱心なマドリディスタの役員、故マルカーノ氏とも、もう会うことはない。

✅ 「ジャメヴュ」とは

ミックスゾーンでも、モウリーニョ監督は見覚えのあるものを見つけられず、「ジャメヴュ」の心理効果を味わうかもしれない、とMatilla記者は書いている。

ジャメヴュは、デジャヴュの反対だ。 よく知っているはずのものが、急にまったく見慣れない、知らない、現実ではないもののように感じられる心の現象だ。

モウリーニョ監督が見覚えのある顔は、20年近くミックスゾーンを仕切ってきた広報担当のエンリケ・パラシオ氏くらいだろう。 ラシンの広報部長で報道官のロベルト・ゴンサレス氏も、かつては記者として監督の会見で質問していた側だった。

✅ ラシンとは4試合で3勝1分

モウリーニョ監督は、ラシンと4回戦い、3勝1分だった。 最後の対戦は0-0の引き分けだった。 マドリーでの最後のシーズンは、ラシンは2部にいた。

当時のマドリーの選手で、今のチームに残っている選手はいない。

当時チームにいたケディラは、最後のサンタンデールでの試合を欠場した。 その前のレバンテ戦で退場になり、チームの敗戦につながったからだ。 モウリーニョ監督はケディラを、こう叱っていた。 「わなにはまった。敗戦の責任の一部は彼にある」 そのケディラは今、モウリーニョ監督のコーチングスタッフの一員だ。

当時は、最も好戦的なモウリーニョ監督の時代だった。 そのころ、こうも話している。 「スペイン代表がもめ事を起こせば団結だと言われ、私たちがやれば悪党と言われる」

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