CL優勝とマドリー契約、同じ夜に──2010年5月22日、モウリーニョはベルナベウで何をしていたか
スペイン紙『AS』編集長、ホセ・フェリックス・ディアスが伝えた。
モウリーニョはインテルの監督としてサンティアゴ・ベルナベウに乗り込み、2度目のCLタイトルを手に入れて去った。そして、その同じ夜にレアル・マドリーの新監督となった。
公然の秘密ではあったが、誰も予想していなかったのは、2010年5月22日のその夜、モウリーニョがマドリーの会長の車に乗り込み、数日前にクラブと交わした合意を正式にサインしに向かったことだ。まず選手たちとともに優勝を祝い、マテラッツィらとの別れを涙で締めくくり、その後ペレス会長との夕食会に出席して全てを確定させた。
✅ 交渉と違約金
決勝という大舞台が数週間の猶予をもたらした。インテル側も黙ってはいなかった。違約金の支払いを要求し、5月31日の発表に向けて協議が続いた。最終的に移籍金は800万ユーロで決着。当初の倍額にあたる1600万ユーロから半額に落としての合意だった。マドリーのゼネラルディレクターだったホルヘ・バルダーノはこの動きに否定的だったが、それでも翌シーズンは共存した。
ペレス会長はその前の金曜夜と、決勝当日のキックオフ前にも当時のインテル会長マッシモ・モラッティと話し合いを持ち、モウリーニョとの面会について了解を取り付けていた。
✅ インテルにとっても特別なスタジアム
サンティアゴ・ベルナベウはインテルにとって、ただのアウェースタジアムではない。マドリーとの激闘の舞台であり、何よりミラノ全体が忘れられない場所──45年もの長い歳月を経て、最後にヨーロッパの頂点に立った場所だ。そのスタジアムで今夜、インテルはモウリーニョという男に再び相まみえる。マドリーの監督として2度目のステージを迎える、かつて自分たちに欧州の栄光を取り戻させた指揮官に。
✅ 生まれ変わったインテル
モウリーニョが優勝を置き土産に去ったインテルは、もはや当時の面影はない。モラッティも去り、中国人オーナー時代も過去のものとなった。2024年からはアメリカの投資ファンド「オークツリー」が経営権を握り、失われていたヨーロッパでの存在感を一定程度取り戻している。それでも誰もが忘れないのは、2010年にモウリーニョがサンティアゴ・ベルナベウでCLトロフィーを掲げたあの瞬間だ。
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